◇ 謎の彫像 ◇

― カラコルム物語と謎の彫像秘話 〜独断的推察〜 ―

  

  

 和田の街を出発し、西方へと旅立つことしばし――

 まもなく行く手に、輝やかんばかりの氷の世界が姿を現します。

  

 LV50をいくつか越えたあたりの旅人が訪れる……そう、「カラコラム」の地です。

  

 見渡すばかり、一面の氷壁。

 生半可なる冒険者を拒む、銀色の酷寒のエリアです。

  

  

 その、カラコラムの入口――

 下半身を氷中にうずめたまま旅人を迎える、物言わぬ彫像があります。

  

  

 男性なのか?

 女性なのか?

 中性的な印象で、どちらかと容易には判別できそうにありません。

  

 少なくとも、成人している人物であることは間違いなさそうですが。

 とはいえ、この人物はいったい誰なのでしょうか?

  

 

  

 少々長くなりますが――実は、こんな話があります。

 12世紀末ごろから13世紀前半にかけて、草原を駆けまわり、

 巨大な帝国を創りあげた偉大な人物といえば……そう、チンギス・ハーン(ジンギスカン)です。

  

 チンギスには、彼の後継者と目される4人の息子たちがおりました。(この他にも庶子がいますが省略)

 長男:ジュチ (ジョチ、とも)

 次男:チャガタイ

 三男:オゴタイ (オゴデイ、とも)

 四男:トゥルイ

  

 長男であるジュチはチンギスが在位中に、はやくも父より先に早逝し、

 また遊牧民であるモンゴルの風習では、成人した男子はすぐにも一族から離れ独立するという風習がありました。

 ゆえに、親が遺した財産は、たいてい最後まで父母とともに行動している末の息子が相続することになります。

  

 チンギスの逝去後……それを思えば、帝位を継承するのは末弟のトゥルイとなるのが順当なところでしょう。

 が、結果として、いろいろな紆余曲折を経て――最終的には三男のオゴタイが、次代のハーン(王)位を継承します。

 オゴタイこそが、第二代ハーンです。

  

 チンギスの一代でもすでに巨大な版図を伐り従えていましたが(この時点で長安・敦煌・和田はすでにモンゴル帝国の版図)、

 オゴタイも父の方針をそのまま継ぎ、さらなる版図拡大へと各地に軍を派遣していきます。

  

 と、そうなっていくと……以前のままの本拠地ではやがて前線から遠く離れ、

 巨大な帝国の中心としては手狭にもなり、いろいろな面から不備を生じてくるようになります。

 そこで、オゴタイ・ハーンが次代の首都としてあらたに建設した都市こそが、「カラコルム」なのです。(『シルク』内では「カラコラム」の名称になっていますが)

  

 こうして1235年から建設がはじまった新首都・カラコルムですが――

 のちに国名を「元」と改め、中華風の王朝に変化していく中で、首都がふたたび大都(現在の北京の原型)へと移るにおよび、

 ごく短期間のうちに大帝国の首都としての役割を失ってしまいます。

  

 東は中国を征服し、朝鮮半島・ベトナム・東南アジア諸国にまで影響を及ぼし、

 西はバグダッドからモスクワ近辺までを征服し、ユーラシア大陸の大半を手中に収め、

 世界史上最大の国土を有したモンゴル帝国。信じられないほどの巨大帝国です。

 そんな中、かつては新首都として精彩を放ったカラコルムも、年月とともに色あせて歴史の中へと埋もれていきました。

  

  

 そんなカラコルムが――再び、歴史の表舞台に登場する機会を得ました。

  

 1370年、モンゴル帝国が「元」王朝へと姿を変えてから、100年ものちの時代。

 あらたに興った漢民族による王朝・「明」の勢いに押され、首都・大都は陥落。

 チンギスの、そしてオゴタイの子孫たちは国土解放を目指す明軍の前に敗退を繰り返し、後退を重ねます。

  

 そしてこの年、当時のハーン位にあったドゴン・テムルが死去。その後を継いだのは、若き皇太子・アユルシリダラです。

 酒宴と女に溺れていた不甲斐ない父たちとは異なり、アユルシリダラはクク・テムルら有為な人材を登用し、

 果敢にも中国への反抗を企図します。

 が――思いは叶わず、惨敗。逆に反撃にも遭って、一時的に仮の首都としていた応昌の地まで放棄せざるを得なくなりました。

  

 そんな失意のアユルシリダラが、わずかな再起をかけて最後の首都としたのが――長きにわたって見捨てられていた、カラコルムでした。

  

   

 しかし――1378年、カラコルムにてアユルシリダラ死去。

 その後を継いだのは、弟のトクズ・テムルでした。

  

 いよいよ明(大明帝国)とかつてのモンゴル帝国とのあいだに、最後の戦いがはじまります。

 アユルシリダラ死去からちょうど10年後の1388年、トクズ・テムルはこの危機のために集まってきた諸部族と連合して、決戦を挑むのです。

 が……その最大戦力であり、頼みにもしていた部隊・ジャライル王国軍の20万の軍が、食糧不足によりやむなく明国軍に降伏してしまいました。

 このチャンスを逃さなかったのが、明の将軍・藍玉。彼は一気にトクズ・テムルのいる本陣を急襲し、その軍を粉砕します。

  

  

 最後の望みは潰えた……。

 失意の中カラコルムへと逃れようとするトクズ・テムルでしたが、その途中、かつて父祖が殺害した者の手にかかり、暗殺。

 彼の2人の子も一方は父とともに殺害され、一方は明軍に捕まり、これによりチンギス・ハーンから続いてきた元王朝直系の血は絶えました。

  

 以後、カラコルムは廃都となり、往時の輝きは完全に消失しました――

  

  

  

  

 ――と、いうわけで。

 カラコラム中央部に存在する、「古代遺跡」というのは、この不遇な運命を辿った都市、

 モンゴル帝国当時のカラコルムをモチーフとしているのではと想像することができます。

(時代区分的には中世なんですが、それが”古代”となぜなっているのかは不明)

  

  

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

  

  

  

  

 そして、2つめの物語。

 氷の世界を描いたカラコラムの設定理由と、謎の彫像についての推測です。

  

 話を、これまでのチンギス・ハーンに戻します。

  

 ――チンギスには、実に数多くの妃妾がおりました。その数は500人にものぼるとも言われています(といっても、これは妃に仕える女官を含めての数だろうと思うけど)。

 その中の上位5人、とくに「大皇后」と尊称された人物を挙げてみましょう。

  

 1位.ボルテ (チンギス糟糠の妻。ジュチ〜トゥルイはすべて彼女の子)

 2位.クラン  (メルキト族出身。庶子ガウランの母)

 3位.イェスィ (イェスゲンの姉。タタル族出身)

 4位.グンジュ (金国皇帝の息女。当初は従っていた宗主国の姫という理由により4位とするが、実質的な優遇措置は何もなかったという)

 5位.イェスゲン (イェスィの妹。タタル族出身)

  

 この中でチンギスが一番愛し、大切に思っていた女性は、第2位であるクラン妃だったと伝わっています。

(なんだか豊臣秀吉が正妻・北政所(ねね)がいるのに、側室である茶々(淀君)を溺愛したのと似ていますね)

  

  

 そんなクラン妃でありましたが、1224年、夫であるチンギスより3年早く、彼女はその生涯を閉じてしまいます。

  

 チンギスのそばを離れず、最期まで戦地に付き従ったクラン妃。

 その遺骸は、彼女の遺言どおりに葬られることとなりました。

  

「このまま草原(本国・郷地)へは持ち帰らず、どうぞ氷の下に埋めてください」――

 かくしてチンギスが最も愛したという女性の棺は、カラコルムの氷壁の亀裂の奥に埋まった、と史書は記しています。

  

  

 ――と、いうわけで。

 『シルク』の世界、カラコラムの地に埋められた多くの人型の彫像は、

 中国の兵馬桶や日本の埴輪などとおなじように、泉下に眠るクラン妃に仕え、彼女の魂を守護するために造られたものではないか……と、

 筆者は勝手に想像したりしています。

  

  

  

 掲げた手が掴もうとしているのは天か、それとも見えざる別の何かか……。

 その答えは、こんな亀裂の奥に今もひっそりと眠っているのかもしれません。

  

  

  

  

<主要参考書籍>

・「チンギス・ハーン新聞」 (刊行:アスペクト)

・「チンギス・ハーン 蒼き狼と白き雌鹿4 マスターブック」 (刊行:コーエー)

・「別冊歴史読本 世界・失われた王朝」 (刊行:新人物往来社)

  

  

  

  

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